光と影、フランク・ロイド・ライト

博物館明治村で優劣つけがたいのが「帝国ホテル」でしょう。
帝国ホテルは1890年(明治23年)11月3日に落成、同7日に開業した。初代帝国ホテルは渡辺譲 設計、木骨煉瓦造、3階建、客室数約60。1919年(大正8年)失火から全焼。
1914年(大正3年)頃から、当時の総支配人だった林愛作(ニユーヨーク在日本古美術商山中商店主任であった当時、浮世絵の収集家でもあるフランク・ロイド・ライトとは深い付き合いであった。帰国後林愛作はホテル業への転身を躊躇しながらも、周囲の懇望に応えて帝国ホテルの支配人に就任した)は旧知のアメリカ人建築家、フランク・ロイド・ライトと新館設計の相談を重ね、1916年(大正5年)に契約を結んだ。翌1917年(大正6年)にライトは来日し、1919年(大正8年)9月、着工した。

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そのスタイルには変遷もあり、一時はマヤの装飾を取り入れたことがあるが、基本的にはモダニズムの流れをくみ、幾何学的な装飾と流れるような空間構成が特徴である。浮世絵の収集でも知られ、日本文化から少なからぬ影響を受けていることが指摘されている。ライトは使用する石材から調度品に使う木材の選定に至るまで、徹底した管理体制でこれに臨んだ。この正面玄関を見てもわかるようにライト館のさまざまな箇所に施された独特なマヤ調の意匠やライト独自のスタイルでまとめられている。

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忘れてならないのは自然光を多く取り入れた設計。メインロビー中央には三階までの吹き抜きがある。左右の廻り階段を昇る毎に、劇的な視界が開かれる。彫刻された大谷石、透しテラコッタによって様々に装飾されている。

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ライトの設計は凝った造りや材料など費用・後期の遅れ、設計変更など経営陣と意見が分かれ林愛作と共に解任されてしまう。フランク・ロイド・ライトはこのホテルの完成を見ることなく離日を余儀なくされた。ホテルの建設は弟子の遠藤新の指揮のもとその後も続けられ1923年に竣工した。

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天井には照明も無く、テラコッタで装飾された柱から漏れる明かり、昼間の光を取り入れる総張りのガラスが目を惹く。1923年(大正12年)7月、着工以来4年の歳月を経てライトの本館は完成した。9月1日に落成記念披露宴が開かれることになったが、関東大震災が東京を襲ったのは、まさに宴の準備に大忙しの時だった。周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞われたりする中で、小規模な損傷はあったもののほとんど無傷で変わらぬ勇姿を見せていたライトの帝国ホテルはひときわ人々の目を引いた。ライトは二週間後このことを遠藤からの手紙で知り狂喜したという。

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窓の明かりを見ていると外の風景が歪んで見える窓。そうなんです。昔ながらのガラス、こんな部材に出逢うとやけにうれしくなってしまうのです。しかし、経年劣化には勝てず今の材料に変更せざるを得ない所は偲ぶほか無いのであろう。

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「パパが吸ったんでしょう」、撮影していると近くから声。最もここでの喫煙は許されていない。確かに灰皿(これが古いものであったらもっと価値観を見たのだが)には口紅らしき色が見られない。この時代、女性が人前で煙を燻らしていたんだろうか? 調べてみた。どうでもいいこと。

ベルツ(エルヴィン・フォン・ベルツ、ドイツ帝国の医師で、明治時代に日本に招かれたお雇い外国人のひとり。27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした)、明治37年11月3日の日記には、「女性の喫煙がはなはだしく減少した」「以前は、ほとんどすべての婦人がキセルを持っていた」と、江戸時代後期の19世紀前半までは喫煙をする女性は主に遊女であり、その他の女性が喫煙することは滅多になかったが喫煙が皆無であったわけではない。
ではいつごろから今のようなタバコの形なったのか? 明治時代に入ると、外国からさまざまなたばこが輸入された。なかでも紙巻たばこ(シガレット)は、目を惹くパッケージデザインと手軽さが広く受け入れられ、国内でも製造されるようになった。大正時代には、その製造量はキセルで吸う刻みたばこを上回ることとなったそうな・・・、このあたりで止めておきましょう。



遜 龍明





by fotografkei | 2017-10-14 14:18

龍明の部屋


by 遜 龍明