絵に描けない写真

以前プロ写真家と会談したときの話をちょっと紐解いてみたいと思います。

絵に描けない写真_a0330864_21572926.jpg

その方は「絵に描けない写真を撮る」というものである。
疑問を投げかけられ、その内容は教えてもらえなかった。
意地悪でなく、これからの写真についてひとつの課題を投げかけてくれたんだと思うのです。

絵に描けない写真_a0330864_21574417.jpg

写真を遡れば記録写真から始まっている。
18世紀の初頭、写真の原型が生まれることとなる。しかし、その原型は携帯することが出来ず、もっぱらスタジオ撮影。
19世紀に入るとその技術は急速に発展していった。
1840年代には肖像写真の流行が起こり、1850年にはフランス政府により自然、建築・遺跡、産業、災害などの記録を残すプロジェクトが始まり、フランス国内外の多くの風景が記録された。
報道写真は1853年から1856年の間、クリミア半島などを舞台として行われた戦争でやはり記録写真として活躍したのであります。1861年にはアメリカ南北戦争でも報道記録として写真が普及したのであります。
写真の多くはこうした記録として活躍したのであります。

絵に描けない写真_a0330864_21575461.jpg

絵画は芸術、しかし写真が芸術として肩を並べられないのは「記録」といった大きな壁を破ることが出来ないからだ。
なぜなんだろう、記録媒体を使ってそこにある現実を記録しているに過ぎない。撮り手の感動もやはりそこにある現実を切り撮っているに過ぎない。
いつまでたっても記録といった現実から脱皮することが出来ない。

果たしてそうなんだろうか?
絵画も彫刻もそれを「作品」と呼び、古くは歌川広重(安藤広重)の『東海道五十三次絵』には遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、海外の画家にも大きな影響を与えた。
絵画には無いものを描いたり、付け加えることにより作品の価値を上げているのになぜ写真にはそれが認められないのか?
いいえ、認められていないのではなく、それを否定するといった風潮が今だはびこっているのであります。コンテストといった制約の中で撮り手の感性が認められないのは非常に悲しいことである。
その多くはレタッチする技法を知らない。PCやソフトを駆使して「作品を造る」ことは大変な勉強と努力を必要とするなど一歩踏み出せないのが現実でしょう。
しかしここ数年私がめぐる写真展で技法を駆使した作品に出会うことが多くなった。大きなコンテストでも新たな部門として「イメージクリエート」と称して立派に評価されているのであります。
記録写真はあくまでも記録として評価されるものであってすべての写真を十把一絡げにして捉えるのは如何なもんだろうか?
「絵にかけない写真」を撮るってどういうことなんだろう。永遠の課題になりそうだ。



遜 龍明



by fotografkei | 2017-04-16 22:57

龍明の部屋


by 遜 龍明