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2017年 02月 09日

先人の知恵(功績)20170209

今日は天気も悪く雪が混じる一日となった。
こんな日だからこそ自分の写真と見詰め合うことが出来る。

その前に、ブログの更新。思いつくと真っ先に手がけないと気が済まない私。

先日「トヨタ産業技術記念館」へ撮影に出かけた。
豊田といえばトヨタ、といえばトヨタ自動車なのであります。
しかしトヨタ自動車を語る前に「豊田(濁音)」を知らなくては、、、と思うのであります。
この件(くだり)はこうだ。

トヨタ自動車の創始者は「豊田喜一郎氏」。ご存知のとおり。
その父親である「豊田佐吉氏」、農家の生まれで後の豊田紡織機械の生みの親と言ってもいいだろう。
豊田佐吉は東洋のエジソン。古くからある機織機を自動織機にまで研究開発した人物。研究に研究を重ね、改良して一大会社を築き上げたのであります。織機の縦糸を両足を交互に踏むことで交差させ、人の手で横糸を右から左、左から右へと通すドラマに出てくるような機織機はご存知のとおり、その横糸の操作を自動化させたことで特許取得は有名な話しである。研究に研究を重ねすべての工程を機械化したことでも名を馳せた。

佐吉氏は1911年(明治44年) -現在の名古屋市西区則武新町(現在のトヨタ産業技術記念館の地)に、自動織機の発明完成の足場を築くために、独立自営の豊田自動織布工場を設立した。1918年(大正 7年) - 豊田自働紡織工場を株式会社化し、豊田紡織株式会社を設立。1920年(大正9年)、建坪約1万坪の大紡織工場が完成した。

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佐吉は「障子を開けてみよ。外は広いぞ」と語ったと伝えられている。東洋の発明王といわれた佐吉氏から生まれたのが前に紹介した豊田喜一郎氏なのであります。
喜一郎氏はやはり発明王の子供なんですな。世界の「トヨタ」を産んだんであります。前置きが長くなりましたがこれからが本題なのであります。

時は1930年代、日本は世界五大国の一角を占める列強といえど、同盟国のドイツやイタリア、イギリスやアメリカ合衆国、フランスなどに比べて自家用車の普及や舗装道路の整備状況は劣っており、乗用車の最大のユーザー層はタクシーやハイヤー業者であった。
そして、この時代のハイヤーやタクシーは、比較的廉価でかつ実用上の耐久性が高い排気量3,000ccから4,000ccクラスのアメリカ製大衆車が広く用いられていた。その中でも多数を占めるのは、フォードとシボレー(ゼネラルモーターズ)の2大ブランドで、両社は1920年代中後半に日本に進出し国内でノックダウン生産を行い(「日本フォード(横浜フォード)・「日本GM(大阪シボレー)」、日本市場に深く浸透していた。

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喜一郎氏は、昭和9年(1934年)、豊田自動織機製作所構内の片隅をお借りして「材料試験室」とともに「試作工場」を建設したんであります。同地は自動織機の研究開発のために創設した試験工場の場所としてトヨタグループ発祥の地であるとともに、(株)豊田自動織機製作所及びトヨタ自動車工業(株)の設立の地でもあったのです。
トヨダ・AA型乗用車(のちトヨタ・AA型乗用車)は、豊田喜一郎を中心とする豊田自動織機製作所自動車部(のちのトヨタ自動車の前身)が、1935年の試作車「A1型」を改良して、1936年に完成させた乗用車。

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どうです。この柔らかなライン。何についても美しいと言うのは人の心を惹くものであります。
手作り、このラインを金床や木槌、金槌で作り上げるのですから日本人の繊細な遺伝子がいつの時代も語られるのであります。

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どうですこの輝き、一点の曇りもなく流線型な姿が生まれたのであります。
今年で81年と言う歴史を刻んだんであります。しかし佐吉氏の血を受け継いだ喜一郎氏が世界をまたに駆ける「トヨタ」を生み出すのは消して偶然ではなく、そうなる運命だったんでしょうな。並の人間ではここまで行き着くことは出来なかったでしょう。とおもう。

1938年、工場のために田畑を移すのを避けたいという思いから、愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)の荒地だった58万坪の土地を取得し、自動車工場を建設した。偉い方は考え方も違う。
現豊田市中心部の挙母(ころも)は、近代以前三河国加茂郡に属し、江戸時代には挙母藩内藤氏2万石の城下町であった。1951年には挙母市(ころもし)として市制を敷いたが、1959年1月1日に豊田市に改名された。トヨタ自動車の影響が相当強かったと思われる。
豊田市は正しくを清音で「とよた」である。ただし、市名の由来であるトヨタグループの創始者豊田佐吉や一族の姓は「とよだ」と濁音である。

トヨタ自動車の「トヨタ」は、創業者豊田佐吉の苗字、「豊田(トヨダ)」に由来します。じつは、初期の乗用車に添えられたエンブレムは、漢字の読みをそのままローマ字で表記した「TOYODA」でした。しかし、この会社名であり、かつブランド名であった「トヨダ」は、1936年に行われた「トヨダ・マーク」の懸賞募集を経て「トヨタ」へと変わることになります。

1938年にトヨタはのちの豊田市(清音)へ移転し、1959年豊田市(清音)に市名が変わったと言うのも何かの縁でしょうかね。相当なる影響でしょう。

いや~歴史って楽しいですね。


さて、ブログ更新は終わったので写真の整理へと移ります。


遜 龍明




by fotografkei | 2017-02-09 14:19 | その他


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