温故知新
2015年 08月 03日
「能」に多くを学ぶ、
6~7世紀ころ中国から本体になる芸能が渡り、さまざまな舞いや歌が混ざり合い現在の「能」となった。戦国時代では能の変革を禁じこともあった。それは方言の違った地方でも「能」の共通言葉から意思疎通があったからだ。
なぜ能舞台には「松」が描かれているのか、その絵は「鏡板(かがみいた)」と言われる。松は落葉しない針葉樹、長い年月を経て大きく立派になることから「神宿る木」、また「松・竹・梅」と言われるように松は上位に格付けされている。
舞台においてその神宿る松にお尻を向けて舞う能は神に対して失礼であり、また描かれた松に向かって舞えば見る人に尻を向けることになる。そこで言い伝えられたのは、見る席に松があってその松が鏡に映っているのだと、
現代用語に見る「打ち合わせ、申し合わせ、出勤、ノリ、見所(けんじょ=みどころ)、番組、檜舞台、太鼓持ち(今では死語かな)」は、「能」から来た言葉。桃の節句に飾るひな人形、五人囃子(ごにんばやし)はこの「能」を形どったものであるなど多くを学んだのであります。
能には五線譜のない「謡(うたい)」、記号でリズムをとる語りとも言うべきであろうか?
これ以上書き連ねれば延々と続くのでこの辺で、
カメラを構え、耳をそばだてての2時間。勉強になりました。
写真は限られたものしか紹介できないのが残念です。
また、新しい知識を蓄積されましたね。
実際に「能」舞台を見たことがありません。NHKでは良く放映されていたのを見ていましたが、全く意味も分からず見ていましたが、舞台に鼓と笙の響き渡る感じに不思議と引き込まれたのを覚えています。
昨日は、娘と九州国立博物館の大英博物館展へ行ってきました。こちらでも、「古きを訪ね・新しきを知る」でしたね。
但し、私の場合はひとつ引き出しに入るとひとつ引き出しが無くなります(笑
たまに、博物館・美術館めぐりも良いかもしれません。
感性を磨かないといけませんね。
ありがとうございました。
先生のお話がとても面白く、勉強になりました。
忘れないように・・・、しかし私も同じですよ。引き出しを増やすことができません。
いくら勉強しても引き出しの数はなぜか同じです。笑)
名古屋にも博物館があります。モナリザも来たことがありますが、まだ一度も行ったことがないんです。
出かけるとすれば写真展ばかり、違った芸術に触れて感性を高めるのも必要ですね。